映画についての覚書

映画について

ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』哀愁を忘れさるほどの視覚的喜び

THE FRENCH DISPATCH Official Trailer | Searchlight Pictures


哀愁と喜びの共存


「フレンチ・ディスパッチ」誌の編集長アーサー・ハウイッツァー・Jrの死で始まるこの作品は、これまで死が描かれてきたウェス・アンダーソンの作品でもみられた哀しみの最も率直的な表現だと言える。ある集団の不和、ファシズム、などを題材にしてきたウェスの作品には、どことなく哀しみとは切ってもきれないような関係がある。さらには、その哀しみに付随するノスタルジアのようなものも引き続き描かれている。

Ennui-sur-Blaséという名のこの街は、編集長(演じたビル・マーレイ)を指すことばでもあり、さらには作品作りのことを指すとも考えられる。作られた平面的な画面、基本的には固定ショット(例外としてこの作品ではストの場面で手持ちカメラによる演出がみられる)で作られた作品は観客にはある種退屈さをもたらす可能性を孕んだものとなる。しかし、多くの観客は監督の作品に退屈さを感じることはないだろう。作られた画面であってもあまりにもそれは精緻であり、カラー/モノクロ/アニメーション、アスペクト比のこれまで以上の切り替え、イマジナリーラインを超えるカメラの移動、技巧を尽くした画面の構成により私たちは退屈さよりもむしろそれを体験できる喜びを得る。ただ画面に惹きつけられるだけではない。今作は追悼・旅行ガイド・特集3本の構成からなり、それぞれの書き手たちが登場し、ナレーションや画面上で物語を語ることもあれば、映像で語らせることもある。入れ子構造の物語は私たちを物語の奥へと誘い、いつの間にか私たちは映像だけではなく物語へも引き込まれてしまう。

アンダーソンは、今作でも死という何よりも重い題材を視覚的表現により軽やかにウィットに、言い過ぎてもいいのなら、それを忘れてもいいくらいに(最後に戻ってくるがno crying)描き切ってみせたと言えるだろう。

まとめ/感想

わたしが初めて映画館で観たアンダーソンの作品になった。今回の作品の特徴といえば、純粋に情報量の多さだと思う。一度では足りなかった人も多いのでは。1回目で物語の流れをおさえ、回数を重ねるたびに映像の豊かさに目を喜ばせるのが楽しい見方かもしれない。映画館に行ける状況下、配信が整った環境での公開が叶ってよかったなと思う。「きちんと意図が伝わるように書け」少しでも伝わればいいけれど、意外と難しい。新作も楽しみにしています。